記事詳細

記事詳細

ファンクラブ

全体公開

「Vtuber名義で配信に来るな」論争と、リスナー営業の話

 現在、Xでは「VtuberがVtuber名義で、他のVtuberの配信へ来ることをどう考えるか」という議論が起きている。純粋に配信を見に来ているだけなのか。活動者として認知されることを期待しているのか。外から本人の意図を断定することはできない。
 先に立場を明かしておくと、私はVtuberがVtuber名義で自分の配信へ来ること自体は、特に問題だと思っていない。少なくとも、自分の配信では歓迎している。

 ただし、個別の行為を許容することと、「禁止されていないのだから、マナーや道徳を持ち出す方がおかしい」と考えることは別である。
 この議論を見ていて気になったのが、行為の是非そのものよりも、「禁止されていない」「自由競争なのだから問題ない」という合理的な説明によって、マナーや道徳のような曖昧なものが簡単に切り捨てられてしまうことだった。

 たしかに、合理性だけで見れば、Vtuber名義で他枠へ行くことも、他のVtuberのリスナーへ営業することも、直ちに否定できるものではない。しかし、コミュニティは法律や規約、市場原理だけで維持されているわけではない。そこには、「明確に禁止されてはいないが、やらない方がよい」とされてきた感覚がある。

 今回は、Vtuberのリスナー営業を題材に、「禁止されていないなら何をしてもよい」という合理主義が、本当にそれほど賢い態度なのかを考えてみた

 例えば、他のVtuberにスーパーチャットを送っているリスナーのXアカウントをフォローする。投稿に「いいね」を押す。リプライを送り、自分の存在を認知してもらう。こうした行為は、いわゆる「SNS営業」の一種である。マーケティングの視点だけで考えれば、かなり合理的な手法だ。すでにVtuber文化に触れていて、配信を見る習慣があり、場合によっては金銭的な支援経験もある。そうしたリスナーは、Vtuberにとって見込みの高い層である。

ところが、この方法はしばしば嫌悪される。

「他人のリスナーを奪おうとしている」
「リスナーを金として見ている」
「他人が育てたコミュニティへ後から乗り込んでいる」

そう受け取られるからだ。
では、Vtuberのリスナー営業は、単なる営業活動なのか。それとも、マナー違反なのか。
まずは、その境界線について考えてみたい。

・SNS営業の手法としては優秀である

 まず前提として、SNS営業そのものは、Vtuberにとって有効な手段の一つである。SNS上で自分から交流しなければ、存在を知ってもらうことすら難しい。投稿に反応する。共通の話題で会話する。そうした小さな接点から、活動者に興味を持ってもらえる場合もある。その中でも、すでに他のVtuberを応援しており、スーパーチャットやグッズ購入の経験があるリスナーは、営業先として非常に魅力的だ。

なぜなら、その人はすでに、

【Vtuber文化を理解している】
【配信を見る習慣がある】
【推し活にお金を使うことへの抵抗が少ない】
【活動者を支援するという行動を経験している】

という特徴を備えているからである。

 一般のSNS利用者へ無差別に営業するよりも、「Vtuberが好きで、実際に支援もしている人」へ接触した方が、自分の配信へ来てもらえる可能性は高い。しかも、営業した全員が流れてくる必要はない。そのうち数%でも名前を覚えてくれればいい。すぐには来なくても、将来新しいVtuberを探すタイミングで思い出してもらえるかもしれない。見込みの高い層へ認知を広げるという意味では、極めて効率のよい手法なのである。

・「営業として正しい」と「好かれる」は別問題

では、なぜ合理的なのに嫌がられる事があるのか。スマートフォンの乗り換え営業を考えてみると分かりやすい。

「現在スマートフォンを使っていますよね。こちらのサービスの方が料金や通信品質に優れているので、乗り換えませんか」

 このような営業を受けて、煩わしいと感じる人は多いだろう。しかし、「他社の顧客を奪おうとするなんて最低だ」とまで考える人は、それほど多くない。企業間で顧客を奪い合うことは、自由競争のなかでは自然な行為と見なされているからだ。

 では、これをVtuberに置き換えてみる。

「Vtuberが好きなんですよね。今応援している人より、私の方が面白いので、こちらへ乗り換えませんか」
 
こう言い換えた瞬間、嫌悪感を抱く人が増えるのではないだろうか。私自身も、露骨な形で行われるなら嫌悪感を抱く側である。

この感情を言語化すると、次のようになる。

「リスナーを一人の人間ではなく、売上として見ている」
「他人が時間をかけて築いた関係を利用している」

 一方で、理屈だけで考えれば、リスナーは誰かの所有物ではない。誰を見るか、誰を応援するか、誰にお金を使うかは、最終的にはリスナー本人が決めることである。Vtuber側が接触したからといって、応援先を強制的に変更させられるわけではない。

 つまり、自由競争の観点から見れば、一定の正当性がある。この「感情としては不快だが、理屈としては否定しきれない」というズレが、リスナー営業をめぐる意見の対立を生んでいる。

・Vtuber側から見える不快感

 ここで断っておきたいのは、私はVtuber側の人間であり、営業を受けるリスナーの感情を代表することはできないということだ。この記事で扱いたいのは、リスナーがどう感じるかではなく、活動者側から見た営業効率と、コミュニティ運営上の摩擦である。

 Vtuberにとって、リスナーは単にコンテンツを消費する顧客ではない。コミュニティの雰囲気そのものを作っている『協力者』でもある。

 だからこそ、他のVtuberのリスナーへ営業をかける行為は、単なる顧客獲得ではなく、「他人が時間をかけて育てたコミュニティを営業先として利用している」と見られやすい。企業の顧客リストと、Vtuberのファンコミュニティは同じではない。Vtuber活動では、人間関係そのものが価値になっている。

 そのため、通常の営業論だけを持ち込むと、合理的ではあっても、界隈の感情や文化と衝突してしまう。

・嫌悪感の正体は「公平感」にある

 リスナー営業が嫌われる理由の一つに、公平感の問題がある。多くの人は、努力した人には、その努力に応じた結果が返ってきてほしいと考える。Vtuberが長い時間をかけて配信を続け、リスナーとの信頼関係を築き、ようやく生まれたコミュニティ。そのなかから、支援額の高いリスナーだけを探し出し、自分のところへ誘導しようとする。この構図が、「他人の努力によって生まれた成果を横から利用している」と映るのである。もちろん、リスナーが複数のVtuberを応援するのは自由だ。推しが変わることもある。活動者同士がリスナーを共有することも珍しくない。

 しかし、自然な出会いによって応援先が増えることと、支援能力の高いリスナーを狙って計画的に接触することは、受け取られ方が異なる。結果だけ見れば、どちらも「新しいVtuberを知った」だけかもしれない。だが、人は結果だけではなく、その行為にどんな意図があったかも見ている。

・合理性だけを突き詰めると、何が起こるのか

 効率だけで考えるなら、見込みの高いリスナーへ営業しない理由はない。

【すでにVtuberへお金を使っている人へ接触する。】
【支援額の高い人を優先する。】
【反応率の高そうな相手へ時間を使う。】

 どれも営業としては合理的だ。コストを減らし、成果を最大化するという意味では、むしろ正しい行動ですらある。「効果が高いと分かっているのに、やらない方が努力不足だ」と考える人もいるだろう。

 しかし、ここで一つ問題が起こる。

合理性だけを突き詰めると、法律や規約に違反していない限り、何をしてもいいという話になってしまう。

【他人の配信で宣伝する。】
【太客だけを選んで接触する。】
【相手のコミュニティへ入り込み、関係性を作ってから自分の活動へ誘導する。】

 どれも、場合によっては明確に禁止されていない。では、禁止されていなければ、本当に問題はないのだろうか。

 私は、そうは思わない。

 そこで人は、「マナー」や「道徳」という言葉を使って、禁止されてはいないが共同体の摩擦を生む行為に線を引こうとする。私自身、マナーについて体系的に語れるわけではない。ただ、コミュニティには、合理性だけでは説明できない「それはやらない方がいい」という感覚が存在する。その感覚を、単なる非合理として切り捨てるべきではないと思う

・マナーや道徳を見直してもよいのではないか

 マナーという言葉には、面倒な印象がつきまとっている。根拠の薄い作法を押しつけるマナー講師や、語呂合わせだけで作られたような似非マナーが広まった結果、「マナーとは合理性のない古いルールだ」と考える人も多い。もちろん、相手を拘束したり、知らない人を一方的に非難したりするためのマナーは問題だ。

 ただ、法律や規約だけでは細かく線を引けない領域があることも事実である。

【他人の配信枠で自分を宣伝しない】
【他の活動者のリスナーへ露骨な勧誘をしない】
【交流を装って、他人のコミュニティを営業先として利用しない】

 こうした暗黙の了解は、合理性だけでは処理できない摩擦を減らすために存在しているのだろう。市場原理は、「やってよいか」を説明してくれる。しかし、人間関係は「やってよいか」だけでは維持できない。禁止されていないから問題ない、と切り捨てる前に、マナーや道徳と呼ばれてきたものの役割を、一度考えてもよいのではないかと思う

・露骨な営業だけを叩いても仕方がない

 ここまで考えると、少し妙な話もある。Vtuber本人が、自分のアカウントから他のVtuberのリスナーへフォローやリプライを送る。たしかに、露骨ではある。営業先を探していることも分かりやすいし、見る人によっては品がないと感じるだろう。

 ただ、ネット上の勧誘として考えれば、これはかなり正直な部類でもある。なぜなら、「私はVtuberです」「あなたに興味を持ってほしいです」という立場が、最初から見えているからだ。営業された側も、無視する、距離を取る、興味があれば配信を見る、と判断できる。一方で、営業効率だけを考えるなら、もっと分かりにくいやり方はいくらでもある。

 一般リスナーを装ってコミュニティへ参加する。そこで他のリスナーと交流し、自然な雑談のなかで特定のVtuberやチャンネルを話題に出す。あくまで個人の感想や口コミに見せながら、別の場所へ誘導する。ここでは便宜上、こうした宣伝目的を隠した勧誘を「ステマ営業」と呼ぶことにする。本人が直接営業するより、第三者の口コミに見せた方が警戒されにくい。コミュニティの内部に入り込めば、接触できる人数も増える。当然、営業としてはこちらの方が強い。実際、こうした形でコミュニティ内の人間関係が分断されたり、複数のリスナーが別の場所へ移動したりすることもある。

 そう考えると、活動者本人のアカウントから送られてくる露骨な営業に対して、「リスナーを奪うなんて許せない」と大騒ぎするのも、どこか牧歌的である。少なくとも、その営業は見えている。誰が、何のために近づいてきたのかも分かる。本気で他人のコミュニティから人を動かしたいなら、わざわざVtuberの看板を背負って近づく必要などない。一般人として混ざり、仲良くなり、口コミを装えばいい。その方が効率もいいし、反発も受けにくい。もちろん、だから露骨なリスナー営業が正しい、という話ではない。

 ただ、見えている営業だけを捕まえて、界隈の重大問題のように騒いでいる光景には、少し冷めた気持ちにもなる。効率のよい勧誘は、もっと静かに行われる。

 そう考えれば、活動者本人として堂々と営業しているだけ、まだ分かりやすくて親切なのかもしれない。


2

この配信者のその他の記事

ファンクラブ

月額1,000円プラン以上公開

なぜ幽霊に憧れ、人間にガッカリするのか?

夏はノスタルジーの香りがする。麦わら帽子にラムネ、夏休みや海水浴......そんな絵に描いたような夏⋯

ファンクラブ

月額1,000円プラン以上公開

美術ド素人がゴッホ展『夜のカフェテラス』で圧倒された

「ひまわり」私のファン・ゴッホのイメージといえばこれだ。ゴッホといえば、美術に興味のない私でも知って⋯

ファンクラブ

月額1,000円プラン以上公開

誕生日は人間関係が残酷なまでに可視化される

あんまりお誕生日とか記念日のイベントは好きじゃない理由を考えてみた。私は記念日とかでお祝いをするのが⋯

ファンクラブ

全体公開

落ちた桜の花の謎

陽の光を浴びながら、健康のためにと、スーパーまでお散歩していた時のこと。小さな違和感を見つけた。桜の⋯

ファンクラブ

月額1,000円プラン以上公開

エイプリルフールボイス