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#3 醜さに宿る美

皆様、私は人間という生き物の、どうしようもなく醜く、もがき、足掻き、そして苦しむ姿がたまらなく愛おしいのです。

それは決して洗練された完成品の美ではありません。

血のにじむような努力や、泣き腫らした瞼、擦り切れた心といった、不格好で脆弱な要素の集積です。

しかし私は、そうしたものの中にこそ、真の美学が潜んでいると信じています。

極限状態にあってなお、かすかな希望の糸を探し、掴み、それがどれほど細く頼りないものであっても手を離さない。

無様で、愚かで、滑稽とさえ言えるその行為は、私の目にはひとつの完成された舞台芸術のように映ります。

観客のいない舞台で、誰に評価されるわけでもなく、それでも必死に幕を上げ続ける役者——その姿ほど心を打つものはありません。

もちろん、私はその役者の一人です。

生を諦めきれず、足掻くことをやめられない愚かさを、自分の中にもはっきりと感じています。

その愚かさは、私にとって恥ではなく、むしろ誇りです。

何度も舞台袖に引きずられそうになりながら、それでも照明の下へ戻ろうとする——その執念こそが、私を生かしているのです。

ただ、ここで少し告白をしなければなりません。

私は人間という存在を、どうしても過度に客観視してしまう癖があります。

言い方を変えれば、私は人生というものを、ひとつの長大な物語やコンテンツとして捉えてしまうのです。

その視点に立てば、足掻く人間の姿が美しく見える理由も、ある程度説明がつきます。

物語の主人公が完全無欠では、物語は退屈です。

欠落し、傷つき、倒れながらも立ち上がる——そうした展開こそが、物語に命を吹き込むのです。

ですから私は思うのです。

私たちは皆、物語の登場人物であると同時に、観客でもあるのだと。

自らの人生の舞台で演じ、他者の舞台を眺め、その両方を通して、美しさを見出していく。

静止した完全性にではなく、動き続ける不完全さにこそ、美の核は宿ります。

そして——この舞台の幕が下りるその瞬間まで、足掻く私たちは、やはり美しいのです。


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