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「赦すことは、美しい」と、誰かが言った。
「優しい人でありなさい」と、何度も言われてきた。
その言葉に、私は何度も救われた。
けれど同じくらい、何度も壊れた。
赦しとは、とても柔らかい言葉です。
角がなく、痛みもありません。
穏やかな微笑みの中で差し出されるその手は、
まるで傷ついた心を包み込むように見えます。
けれど、私は知っています。
その温もりの中に、ゆっくりと毒が溶けていることを。
他人を赦すとき、私たちはしばしば自分を守っているのだと思います。
怒りを持ち続けるのが怖くて、
対立する勇気がなくて、
「もういいよ」と言葉を閉じてしまう。
赦したほうが、楽だからです。
関係が壊れないからです。
けれどそれは、本当に優しさなのでしょうか。
それは、誰かを救いたかったのではなく、
“嫌われたくなかっただけ”の赦しではなかったのでしょうか。
赦しとは、いつも誰かの痛みを見えなくします。
「大丈夫」「気にしてない」と笑うたびに、
本当はまだ痛んでいる心を、自分の手で押し殺してしまう。
そうやって私は、少しずつ鈍くなっていきました。
怒ることが下手になり、悲しむことが下手になり、
ついには、何を感じても笑ってごまかすようになりました。
優しさの仮面の下で、私は少しずつ腐っていったのです。
もし赦しが本当に人を変えるのなら、
この世界に加害者はいなくなっているはずです。
けれど現実は逆で、赦されるたびに人は自分の行いを軽く感じます。
「許してもらえた」ことが免罪符になり、罪は風化していく。
赦しは、暴力を終わらせるどころか、
暴力を見えなくする装置になってしまうのです。
やさしい顔をしたまま残酷を続ける社会。
その静けさこそが、いちばん恐ろしいのだと思います。
私はかつて、人を信じることで裏切られました。
それでも、「きっとこの人にも事情がある」と自分を納得させ、
何度も何度も赦しました。
そのたびに、相手は私の境界線を少しずつ踏み越えてきました。
気づけば、どこまでが“私”の領域なのか、わからなくなっていました。
優しさが私を救ったのではなく、
優しさが私を壊したのです。
であれば私はもう、簡単には赦しません。
それは冷たさではなく、誠実さの形だと思っています。
怒りを抱えたままでもいい。
悲しみを手放さなくてもいい。
無理に微笑まなくてもいいのです。
赦さないことでしか守れない痛みが、この世界にはあります。
本当の優しさとは、何もかもを受け入れることではありません。
自分をすり減らしてまで他者を救うことでもありません。
むしろ、「ここで止める」「これ以上は入れない」と
線を引けることだと思います。
その線があるからこそ、人は尊厳を保てます。
優しさとは、相手を救うためのものではなく、
自分を見失わないための秤なのです。
赦しというやわらかな毒は、
ゆっくりと人を眠らせます。
それは、怒りも悲しみも溶かしてしまう甘い麻酔です。
けれど、麻酔が切れたあとに残るのは、
現実の痛みと、鈍った感情だけなのです。
私はもう、その毒に酔いません。
赦すことの美しさに酔って、
自分を殺すことは、もうやめにします。
優しさを選ぶのなら、それは自分の意志で。
赦すのなら、それは相手のためではなく、自分のために。
――そうやって私は、
やさしさの毒を飲み干したあとに、
静かに息をして、生き延びていくのです。
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