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本日は、「障害者なりの強さ」についてお話ししたく思います。
それは、容易に測れるものでも、見かけの華やかさで飾られるものでもありません。
私の人生は、静かに牙を剥く嵐の連続でした。
幾つもの病を抱え、息を継ぐ間もなく押し寄せる入退院。
その合間に、父の介護という終わりの見えぬ責務。
そして、心身の余白を削りながら続ける、自らの表現活動。
これらを並べると、あまりに重苦しい物語のようですが、これは私の“日常”です。
デイケアでその断片を語れば、スタッフは目を見開いて、「人生でここまでつらい体験をすることは、なかなかないよ。」と言います。
診察室では主治医がしばし沈黙し、「とにかく今は休んでください」と、低く静かな声を落とします。
その時、私はひとつの確信に辿り着きました。
──もし本当に私が、生活の舵を取ることさえできぬ"よわよわ" で "メンヘラ"な存在であったなら、この連続する荒波の中で、とっくに沈みきっていただろう、と。
私の強さは、戦場の勝者のような華やかさを持ちません。
それは、崩れ落ちる崖の縁に指先をかけ、血が滲もうとも手を離さぬ、そういう種類のものです。
叫びもせず、ただひたすらに岩肌を掴み続ける──その静けさこそ、私を支える力です。
そして私は、ひとつ声を大にして申し上げたい。
医療や福祉の手を借りることは、決して敗北ではありません。
それは、自らの限界を正確に見極め、適切な瞬間に「助けて」を言える能力です。
見栄も羞恥も捨て、自らを守るために最良の策を選び取ること──これこそ、魂の強靭さの証です。
障害者なりの強さとは、もしかすれば、無理を押し通すことではなく、耐え忍ぶことでもなく、
“己を守る術を知り、選び、行動できる”という、静かな戦略なのかもしれません。
私は病を抱えています。
しかし、病に溺れたことはありません。
支援と意思と、そして幾度も砕けそうになりながらも立ち上がる心によって、私はこの道を歩き続けています。
それはきっと、炎のように派手ではない。
けれど、雪原を突き進む旅人の足跡のように、確かに刻まれていくのです。
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