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中学1年生のころ、声の出し方を忘れたことがある。
不登校になり人と話さない日が続き、たまに面倒を見に来てくれた祖母と話すときに声が出なくて驚いた。
当時は匿名掲示板(2ch)でコメントを書き込もうとしても、それすら勇気が出なかった。
書いて、消して、書いて、消して… 結局送れなかった。
見るだけなら毎日やっていたのに。
学校にも、家にも、社会にも、どこにも居場所が無いと感じていた。
このままじゃいけないとどこか不安を抱えながら、部屋で一人インターネットやゲーム、漫画を読む楽な毎日から抜け出せないでいた。
そんなある日、突然部屋に家族と親戚が踏み込んできた。
びっくりしていると、抱え上げられた。
魚のようにビチビチと必死に抵抗した。
しかし、引きこもりの中学生は非力だった。
必死の抵抗虚しく車に乗せられ、疲れ果てて寝た。
起きたら、真っ暗な田舎道。「どこ?」と聞くと、「山」と返ってきた。
着いたのは、生きづらさを抱える若者の自立支援施設。
スタッフに取り囲まれ「お前、もう帰れないから」と言われた。
絶望しながらも、抵抗する勇気もなく、車で去っていく家族を見送ることしかできなかった。
案内されたのは、8人部屋の二段ベッドの上段。
そこで声を殺しながら泣いた。なんでこうなっちゃったんだろう、明日からどうなるんだろう。
疲れ果てて、気付いたら寝ていた。
次の日から作業と呼ばれる丸太を運んだり、カモやヤギを育てたり、農業をする毎日が始まった。
木というのは、持ったことがない人には想像できないくらい重い。雨の中、泥だらけになりながら山の斜面を運ぶ。足が滑る。腕が限界を超える。でも潰れるわけにはいかないから、必死に運ぶしかなかった。
そこにはバイクで暴走していた人、仕事をしていない人、学校に行っていない人、精神的に不安定な人まで様々な人がいた。
入居者とケンカしたり、スタッフに怒られたり、なにもかも上手くいかない日々が続いた。
「ちゃんと働けるようになって信頼を得たら隙をみて脱走しよう」そう心の中で思いながらなんとか生きていた。
ケンカしながらも汗をかきながら大変な作業に他の入居者と一緒に取り組んだり、厳しいがまっすぐに向き合ってくれるスタッフに怒られながら、少しずつできることが増えてきた。
その中でそれまで知らなかった喜びを知ることも少なくなかった。
作業終わり軽トラの荷台にのってご飯を楽しみにしながら帰るときに見る夕焼け、仕事終わりの銭湯、夜の自由時間に一緒に汗を流して働いた入居者とするゲーム。
相変わらずキツいことのほうが多かったが、体験や人との関わりの中で、楽しみを見出したり新たな自分を発見したりしていた。
キツい日常の中でもいろんなことを楽しむ。
自分が想像できなかった自分を見つけた体験だった。
気付くと、脱走しようという気持ちは無くなっていた。
いろいろなことを経験し、18歳で施設も正式に卒業した。
その時の自分が見えていた枠を飛び出した体験をしたことで、多くの楽しみを見つけて、さらに成長して世の中で生きていく力がついた。
ただこれは、特殊な環境で強制力が働いていたことにより起きた変化だったなと思っている。
その環境が、自分一人では選ばなかった選択をしてみること、つまり価値観のジャンプに繋がり、知らなかった喜びに出会えた。
強制力がなければこの自己発見は起こらないのだろうか。
既に一度でも自己発見の強烈な成功体験があれば、自ら動いて発見していくことは可能だろう。
その経験が無い人が、強制力無しに自分の枠を飛び出せる方法はあるのだろうか。
その方法は、思いもしなかった場所にあった。
それは経営者として少人数の活動者事務所運営に携わっていた時だった。
ファンが多いわけではなかったが、熱狂的な支持を集めていたとある活動者がいた。
その活動者は、社会で上手く生きることができず、家族とも絶縁していた。
イラストのスキル、自身のビジュアルやカリスマ性などを使って活動することで生きていた。
その人と同じように家族と上手くやれていない人に親に自分の意見を伝える行動を促すメッセージを発信していた。
親の言うことは全然聞かない反抗期のファンたちが、その活動者のいうことを熱心に聞いて実際に様々な挑戦をして報告していた。同じ痛みを知る人の言葉だからこそ、届いた言葉。
それを見た時に、推し活は自分一人では選ばなかった選択をしてみることに繋がるなと思った。
推し活は、強制ではなく憧れが背中を押すことで、自分の枠を飛び出す体験を実現する。
推しV語りというファンに推しの魅力を語ってもらうメディアを個人的に運営していて、その中でもファンの人生が変わった具体例をたくさん聞いた。
推しのコスプレをすることをきっかけに筋トレに目覚めて新たな楽しみを知ったファンや、仕事して寝るだけの生活から推し活コミュニティに参加して友達ができて人生の重要な居場所になった話まで、様々な形があった。
ファンたちが本当に恐れているのは一つだけ、推しの活動終了だ。
多くのファンの人生を変えている活動者は、どのような想いで活動しているのか。
事業を運営する中で数百人以上の活動者の話を聞いた。
自分が表現したいことがある、活動者に勇気をもらったから自分もそんな存在になりたい、誰かを喜ばせるのが好き、ただ活動が楽しいなど、人によって千差万別だった。
ただ、実は活動者を長期的に続けるのは思ったよりも難しい。
好きなことをやるために、表現したいことをするために、したくないことをたくさんやらないといけない。気分が落ちたタイミングで何もする気が無くなる。批判に揺らぐ。サポートを受けるための組織への所属も、場合によっては自分の表現を素直にできなくなる時もある。
活動を続けるにはたくさんの壁がある。
活動を辞めてしまう人が増えるとファンの世界が広がる機会が失われる。
活動者は自分がしたい表現をしながら長く活動することで、たくさんの様々なコミュニティが育ち、それがファンが自分一人では選ばなかった選択をする機会を増やし、誰もが自分の人生を生きることに繋がるのではないか。
その状態を実現するにはどのような環境が必要だろうか?
ひたすらアルゴリズムに沿った投稿でアテンションを集めることを求められるSNSとは別に、じっくり丁寧にコミュニティを温める場所が必要だ。
活動者が自分でやらなくて良いことは任せられて、本当にやりたいことに集中できることも大切。
それが実現できる、活動者が長く続けられる場所をつくる。
そこでたくさんの様々なコミュニティが育てば、想像もできなかった喜びを感じる瞬間を多くの人にたくさんつくれるのではないか?
その可能性にワクワクしてその日のうちにチームに話して、ライドリを立ち上げた。
今ではファンクラブを軸に、毎月1,000人以上の活動者と、1万人以上のファンが使ってくれている。
想像を超えて、昨年一年で利用者の規模も30倍に成長した。
もちろんまだまだスタートラインだ。
気付けば、声の出し方を思い出していた。
あの知らなかった喜びを知る機会をたくさんつくっていきたい。